「子ども達が自分でよくないと気づくように仕向け、気づくまで寄り添って待つことを信条にしている。叱るのではなくもっと心に寄り添った叱る以外の対応がある」
未熟な子ども達は殆どが考えて行動できません。もっと刹那的に生きています。
思春期に入ると大人の理不尽さやずるさを見たり、努力しても報われない現実に直面します。そして自分の善悪の物差しや価値観や生きていく表現方法を塗り替えようとします。自分のボディイメージをあげたいと思い、迷いながら試行錯誤している真っ只中にいます。
ですから経験値では圧倒的に勝っている大人には、失敗して叱られた後の子どもがへこたれずに生きることを支えていく責任があります。だからこそ叱る。その上で叱りっぱなしにしないで最後まで見守ることがより大事なことはいうまでもありません。
Hが受けた叱り方Hの担任の先生はよくない行動に対し「今度やったら親に電話する」と脅すような間違った叱り方をしている。「どうせ言わないくせに」ともやもやと反抗するH。その反面「これをやったら叱られるか大丈夫か」と迷いながら先生の顔色をうかがっている。先生はいつも「親に言うからな」と正面から向き合っては叱らない。彼の中では直接向き合わない先生は卑怯だと認識する。「あれこんな程度かい。なんだ大したことないな。」
Yが受けた叱り方隣のクラスでも同じようによくない行動をするYがいる。Yの担任の先生は「姉ちゃんは真面目なのになぜこんなことするんだ。」と人と比べて嫌味を言う間違った叱り方をする。Yは自分の行動の善悪と向き合わず嫌な言い方だけが残る。「俺が嫌いなんだ。別にどーでもいいんだ。先生大したことないな。」
HとY、それぞれのクラスで本人と向き合わず、しかも違ったニュアンスで指導し叱り方に差があると、そこにつけ込みお互いに気分が悪いと共感し負のエネルギーを貯めます。
2. HとYに組みするT
たまたまひょんなことで先生の言動に疑問を感じ反抗的な言動をする。同じクラスのYは色めき立ち囃し立てTをかばい応援する。このことをクラスの違うHにこんなことがあったんだぜと得意げに話す。そしてある日YはHを誘い「集会サボろうぜ」などと誘いドキドキしながら決行する。Yに妙な恩義を感じたTも知らんぷりして助ける。
HやYのような子は斜に構えて先生の一挙一動にちょっとずつ反抗心を育ててきています。自分を否定する親たちと同類の大人の代表者として先生を見るようになります。周りのよく似た子と共に先生批判のような悪口やからかいが日常茶飯事になると気持ちが荒れた子ども達同士の中で変な競い合いが起こります。
俺は2時間目こんなことしてやった。先生あたふたしてたぜ。俺は朝からふて寝して休み時間には騒いでる。先生もう少しでキレるな。
とどんどんとカッコよく先生を乗り越えていくのです。また叱らない先生を大したことないと思っている子は毎日増えてくるので、仲間を増やそうと水面下で多くの子に声がかかります。悪態の回数は増し加速度をつけて大きな問題行動に発展します。
3. どうしたらよかったのか
このような状態にならないよう各クラスの中で一人のうちにその子を掌握し、褒める叱るをうまくコントロールすることが大切です。よくないエネルギーを増大させないように寄り添いながら叱る。その子のいいところも伝え元気づけ先生自身が積極的にその子の家庭の背景を知り、行動に対して正々堂々と叱ります。決して機嫌を取らずストレートかつシンプルに。
また先生同士話し合い、クラスの状態を開示しあい、真っ向勝負で立ち向かうことを決めます。暴言・脅し・嫌味・おべんちゃらは厳禁です。一人の弱い人間の行動に至る気持ちは共有し、善悪のジャッジをすることが大事です。「君は次もやらかすかもしれないがその時も叱るからな。頑張れよ。」と。そしてもし子どもが怖くて強く叱れない先生が仲間にいたら補い合うことです。明るく強固な絆で結ばれた先生集団を作るのです。
先生集団は結束が高い、本気だ。
と思わせることができるまで励ましあって。
学校には君たちが乗り越えられない高い枠がある。その枠を乗り越えたらどうなるのか。
その先を教えないといけません。問題行動は荒れてきたら何度か出てきます。子ども達との戦いではなく、子ども達の体の中の甘えと弱さとの戦いなのです。それを伝えたらいいと思います。
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